\時代に合わせた商品転換を考える!講演会を開催/
2024.11.30
11月25日(月)、「時代に合わせた商品転換と強さを生み出す経営判断」をテーマに講演会を開催しました。
講師にお呼びしたのは兵庫県に本社を構える日本トップのドーナツメーカー「丸中製菓株式会社」の中山政幸元代表取締役。丸中製菓は、栗山センター長のニップン時代の顧客でもあり、そのご縁もあって今回の講演会が実現しました。
丸中製菓は1950年にかりんとうメーカーとして創業。全国にかりんとうを供給する会社でしたが、やがて時代は和菓子から洋菓子へ。ある日中山さんが年間消費統計を見ると、かりんとうの消費額は1世帯あたり年間250円、一方でケーキなどの洋生菓子は週で1000円。この差を見た中山さんは、看板商品をかりんとうから洋菓子へと転換する決意を固めたそうです。
次の看板商品を模索すること15年。ある日、古い社員から、「ドーナツの機械を売りたい人がいるけど、買わへんか」と声がかかります。ドーナツの主原料は、砂糖・粉・卵・油。かりんとうと一緒です。一方で、ドーナツの作り方については社員全員が素人。そこで、粉に詳しいニップン(当時は日本製粉)の協力を仰いだそうです。原材料費に糸目をつけず、試作を重ねること数か月。納得のドーナツが出来上がると、社運をかけて営業に動きました。
当時社員は40人。かりんとうの発注はすでに少なくなっており、午前中だけで仕事が終わってしまう状態。廃業の危機でした。中山さん曰く、一歩も後ろに引かない覚悟を持ってのドーナツへの転換でした。
売れ出すまでにはさらに2年を要しました。売れるようになると、今度は製造が間に合いません。せっかく来た注文をここで断れば、再度獲得するのは難しくなります。中山さんは、かりんとう屋として苦しい時代と共にした社員たちに「あの頃に戻りたいんか!」と発破をかけ、協力企業も巻き込みながら、月曜から金曜まで24時間フル稼働で工場を動かしたそうです。
今や1日に100万個のお菓子を製造するまでに成長した丸中製菓。中山さんは、おいしくて、かつ誰でも食べられる値ごろなお菓子を製造することを目標にしていたことから、大量生産ができる体制づくりを当初から目標にしていました。投資を決断する時に脳裏を過る言葉は、亡きお父様が幼少期からかけ続けてくれた「要るんか、欲しいんか」という言葉。そして、「ここで金を使わんでええんか、死ぬとき後悔せんか」という自らへの問いかけだったそうです。
企業が成長する中、60代で息子さんに社長を譲られ、役職の一切を退いた中山さん。それについてはユーモアを交えながら、「60歳、70歳の親父がいつコテンと行くかわからないのに、心配だからと社長を続けているほうがよほどリスク」とし、「若い人に任せればしっかりやる。『やってやる』という後継者がいるならさっさと世代交代をしたほうがいい」と語りました。
一度は廃業の危機も経験した中山さん。「大変な時に一緒に頑張ってくれるのは社員しかいない」と語り、利益が出たらしっかり社員に還元することを徹底されてきたそうです。一方で、社外の協力企業も「パートナー」として対等な関係を築いてこられた中山さん。仕入れでも一切値引きをせず、一つのものは一社に任せるというやり方を続けてこられたそうです。
丸中製菓が成長したのは、時代のニーズを見極めた適切な判断もさることながら、社員や後継者、協力会社もすべて「パートナー」として巻き込み、強い共同体を作ってきた中山さんの人柄もあってのことだなと感じた講演会でした。
なお、中山製菓さんからは、約1千個のドーナツをいただきました。そのうち約300個を旭が丘学園に、残りは市内の子ども食堂に寄付させていただきました。
中山さん、本当にありがとうございました!